目標と方法

目的のためか、方法自体が目的なのか。

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ここを見ようとする人は、何の因果か音楽教室を探した結果、私のサイトに辿り着いて、へんな見出しのタイトルをクリックした人か、本気でここで教えてもらおうかと考え、サイト内をくわしく隅々まで見てる人か。いずれにせよ、訪問者の少ないこのサイトで、ブログまで見ようというのはかなりめずらしい方であると思ってもらって結構である。

さて、そこでこのタイトルである。通常何かを成し得ようとした時に(これが目的)その手段と方法が必要になる。例えば、ここでの場合「ギター習得」が目的で、その手段が「誰かに習う」としよう。そして、「目標」はもう少し具体的なリーチポイント、「〇〇の曲を弾けるようになる」など。最後に「方法」が練習、つまり具体的にギターを弾くという行為になる。詳しく定義したが、単に「目的」と「方法」の関係、「ギター習得」と「練習」としても構わない。ここまででページを離れた人が大半だと思うが、昨今、ギターの習得には多大な苦労と鍛錬が伴うということを、数多くの甘言に置き換えながら生徒に説明し続けている私にとって、その答えというべき展開がはじまるので、もう少しお付き合い願いたい。

と言いながら、いきなり結論。「目的」を「方法」に優先しないことを薦めるのである。
ギターが上手い人がいる。この人たちはどうやって上手くなったのか。もちろん「ギターを弾いた」のである。それもたくさん。そして気がついたら人より上手く弾けるようになった。その人たちはどちらかというと、他の人よりもとにかくギターが好きだったり、習得のスピードが速く、そのことで自分には才能があると思い込むなどと、何らかの感情的な重み付けがあった。そのことで「よりたくさん弾いた」ということではないだろうか。なによりも、ギターを弾くこと自体が楽しかったのではないか。目標はそれなりにあったが、方法が優先した。「弾きたい曲の練習」という理由をつけて「ギターを触る」ことをしたのではないか。ここに上達と継続のヒントがあるように考えている。

これで話が見えてきたのではないか。現代は目的の明文化と効率の良い方法論、つまり「Hack」が重宝される時代である。毎日毎時、クリエーターは「近道」をするために、長い道のり=長時間をかけて「Hack」の方法論を考え、文字や動画の情報を取得したり、自作のそれを世界中に流布したりもしている。そんな中でも、楽器の習得というのはとてもタイパの悪い行為である。いかに効率的な練習法を駆使してもそれなりの時間と労力はかかる。これは変えようがない。どうであろう、目的をやめるというのは。長い坂を登ればいつか山頂に辿り着いて至極の景色を拝むことができる、と考えて山を登るのも悪くはないが、坂を登ること自体が楽しくなれば、山頂は関係なくなり、至る道程すべてが楽しい「目的」となるのである。そもそもギターを弾くのは坂道を登ることではないからもっと楽しいはずである。ちょっと待て、そもそも弾けないのだから楽しくないのだという人もいるであろう。ごもっとも。そこで使うのが前述の「Hack」でしょう。普段あなたはなぜそんなにスマホをずっと触っているのか。スマホがそこにあるからではないか。さらに都合のいいことに、スマホの方から催促をしてくれる機能もある。スマホの先には大切な友人や仕事、返信が遅れると機嫌が悪くなるような大切な人がいる。それが理由になる。その習慣は恐ろしいことに、理由がない時には、それに触れながら理由を考えはじめるという本末転倒な状態に移行する。これ、先ほどのギターの上手い人の例えに似てませんか。目的と方法の逆転。ギターをいつでも触れる場所に置いておくというのはかなり有効な「Hack」だと思うのである。

話がことば遊び、あるいは催眠商法のように感じられ始めた人もいることであろう。結局のところ、私がいいたいのはこれだけである。

とにかく毎日ギターを触れ。

先日、オープンしたての羽田第1ターミナルの北側サテライトを散歩してきました。どこも新しくてピカピカ(あたりまえ)。トイレのハンドドライヤーが進化してて飛沫を吸い込む仕様になってたのがいちばんのおどろき。ハンカチも当然持っているのでそれを使うべきなんですが、そこにあると使ってしまう。アフォーダンス理論による誘発でしょうか。ギターも「そこにあると弾いてしまう」がいいですね。